🎤2020年8月16日礼拝説教『 私の行くところに 』(音声30分+説教要旨)

講解説教 ヨハネによる福音書8章 第3回
説教者: 白鳥 彰 牧師
聖 書: ヨハネによる福音書 8章21~30節

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『8月16日説教要旨』

今日の箇所は、ヨハネによる福音書におけるイエスの十字架と復活の予告です。

キリスト論争(キリストとは誰か)⇒イエスは「私は世の光である」と言われました。

「私は・・・ある」これは、神ご自身がご自分のことを言い表した言葉です。(出エジプト3章)

すなわち「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』(わたしが神である)ということが分かるだろう」とおっしゃっているということです。

「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1:9~12)

キルケゴールの『死に至る病』において、死に至る病=絶望=神とのつながりを見失った状態 

だとされています。人間は人間の力だけで何でもできると思っていますが、人間は本当に弱く無力で、神にしか頼れない存在です。そんな私たち人間を、「傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく」(イザヤ書42:3)神は「ご自分の憐れみによって私たちを救ってくださいました」(テトスへの手紙3:5)

私たちはイエスが神であることを受け入れ、その名を信じてここにいます。そして神の深い憐れみの中で生かされているのです。