2018年度年間聖句 : 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。(ローマの信徒への手紙8章39節)

牧師の挨拶

辻堂教会牧師の 白鳥 彰 です。

 人生とは何か、その目的は。ある人は人生とは英雄物語といいます。子どもの頃に思い描いた夢を大人になって実現していくこと。人生は自分の夢を実現して、ヒーローになるために努力すること、ですから人生は英雄物語いう人生観です。また、ある人は一日一日の積み重ねが人生だといいます。朝起きて、職場に行って働き、帰宅し、家族談楽の時を持ち、親は子の成長を楽しみに毎日同じ日常生活の繰り返しである。あるいは、人生は神から来て神へ帰っていく巡礼だといいます。永遠の都への旅、これが人生。結論として人生とは誕生から死に至るまでの 春 夏 秋 冬 という時季をへながら人との出会いの経験の旅なのではないでしょうか。そして、もし人生が旅であるならばそこにはどうしても地図が必要ですし、方角を見定める羅針盤、磁石もいるのです。
 ヘンリーナウエンという司祭は「人生とは神からのプレゼントである」といいました。そして、そうであるならば神はその人生の終わりに問うことが二つある。その一つは「あなたは人生の中で喜びを見出したか」、二つ目は「隣人が喜びを見つけることを助けたか」である。

三木清は『人生論ノート』の中で
 人間はどこから来て、どこに行くのかは誰も知りません。
 人生がどこから来て、どこに行くのか知らないのです。
 それは人生において最大にして根本的な謎です。
 行きつくところは死です。しかし、死がなんであるかを誰もはっきり答えられない。
 つまり「人生は未知のものへの漂泊」

 もし、そうであるならば誰の人生にとっても信仰がどうしても必要なのです。自身に存在根拠のない人間には自分は神に望まれて選ばれて生まれ、神に愛され支えられ慰められて、今があるとの信仰がどうしても不可欠なのです。
 イエスは言われました。
  「わたしは道であり、真理であり、命である」 (ヨハネによる福音書14章6節)

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