「私達は見えるものではなく見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからである」(聖書より)

こんにちは、辻堂教会の白鳥彰と申します。私の故郷は福島県白河市。東京神学大学を経て山梨に約30年赴任し、2年間の休職後、この辻堂に招かれて丁度10年が経ちました。

辻堂は温暖で海も山も近く、風光明媚な観光地でもあり、妻と出会った頃に訪れたのも鎌倉の由比ヶ浜や明月院でしたので、何か不思議な縁を感じています。私の人生にも紆余曲折ありましたが、困難な時もいつも神様に守られ支えられてきました。

さて皆さん、信仰についてはどう感じておられますか。どういうものか良くわからない。信仰はあってもなくても良いもの等と思っておられる方も多いです。しかし私にとりまして、迷いに迷っていた20~30代は特に、信仰とは必要不可欠なものとなりました。

また、人生について皆さんはどのような考えをお持ちでしょう。私達は、何も選んでこの世に生まれて来てはいません。(時代や場所、両親や家族、様々な環境など)―いや、中には「人は生まれる時代や場所、両親や家族を選んで生まれて来る」という方も実際おられます。しかしどちらにせよ、「人生とは練習の無いぶっつけ本番の連続」、また「人生とは自己実現のための英雄物語」という人もいます。ですから、時には失敗するのは当たり前とも言えます。数々の失敗を繰り返しては学び、軌道修正し、それなりの結果が得られ、目指す先がはっきりしてきます。その学びの中で、周囲の人たちに助けられたり、助けたり。そして、何とか与えられた人生を生き抜く術(すべ)を習得します。

皆さん、そこに行き着くためには、自分のめざす方向やそれを指し示す地図と羅針盤があったらどんなに心強いことでしょう。この地図と羅針盤があれば、より楽に正確に目的地に、或いは目標に辿り着けるのではないかと私は思います。その地図と羅針盤こそが、「信仰」なのです。

ヘンリー・ナウエン曰く「人生は神からのプレゼントである」と。また、マザー・テレサは「信仰がなければ、私の人生は要らない」とまで言われました。過去にとらわれず、より良く今を生きるために、そのより良い今を積み重ねて自身の人生を作り上げるために、信仰をもち、教会生活を続けることをお勧めします。それは神に喜ばれることだからです。

イエス・キリストが十字架に架かり死なれ三日目に復活された話は、歴史の授業で皆さんは学んだことかと思います。実はその方は、今も生き続けて私達に聖霊を送り続けておられます。またまた、嘘のような本当の話ですが。2,000年も前の出来事が、なぜ自分と関係があるのかは、直ぐに理解できなくても大丈夫です。どうぞ、教会に足をお運び下さい。私達は何よりもまずイエス・キリストの神の愛(慈愛)を、より多くの方々に知っていただきたいと願っています。しかもその愛は、私達が計り知れないくらいの大きな愛なのです。

私達はいつも、神により召され(招かれ)守られ導かれています。そして神に向かって巡礼の旅を送っています。全ての造り主なるイエス・キリストの神様、これを読まれた方々の上にその導きと祝福とが豊かにありますように。主の平安  
  2025年6月8日  辻堂教会 牧師 白鳥 彰

教会にきて礼拝に参加しませんか。神様が招いておられます。