今、「戦責告白」をしている日本キリスト教団に神が期待しているのは、戦争をなくすための道筋を備えることではないでしょうか。

キュブラーロスは19歳の時、ヨーロッパを旅して、最後にポーランドのマイダネクに辿り着きます。戦争中に強制収容所のあった所です。彼女はそこで、列車何台分もの殺された子どもたちが履いていた靴の山や、やはり列車何台分もの人間の髪の毛を見たのです。

そこで彼女は自問するのです。「あなた方やわたしと同じ成人した男や女が、96万もの罪のない子どもを殺しながら、家に帰ると、水疱瘡に罹っている自分の子どもの心配をするなどということが、どうしてできるのか」

この人間のマインド精神 霊性をかえることは可能なのでしょうか。彼女は晩年、末期がん患者25名、医師・看護師・牧師・ソーシャルワーカーを25名、そして一般参加者25名を集め、月曜日から5日間、ワークショップを開催しました。心の痛み・苦悶などの負の感情を松ぼっくりに託して書き、木曜日の夜にはパーティーを開き、焚き火をしてそれを火の中に投げ入れるというものです。その中でも最大の嘆き、それは「経験することのできなかった愛」に対する嘆きです。それは、失ったものに対する嘆きより遥かに大きなものです。これこそ最大の悲しみでしょう。私たちの社会では多くの人々が、無条件の愛を実感することなく過ごしているのです。

イエスの福音とは、神の私たち人間に対する無条件の愛です。パウロも聖書ローマ書の中で「私は確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。」と伝えています。

そして、その神の慈愛、無条件の愛は、全ての人に向けて届けられています。私は全ての人がそれに気づくことを願い、礼拝説教を通してそのことを語り続けています。神の慈愛に気づく時、全ての争いごとが虚しいものと気づくことになるでしょう。更には戦争をなくす為の道筋を備えることであると信じています。

                          辻堂教会 牧師 白鳥 彰

教会にきて礼拝に参加しませんか。神様が招いておられます。