初めまして、辻堂教会の牧師をしております白鳥彰と申します。

私が洗礼を受けましたのは26歳のときでした。それまでの人生19歳からの7年間は惨憺たるものでしたので、兎に角新しい自分になりたかったのを覚えています。

 私はそれまで、生きる意味をあまり考えたこともありませんでしたし、人生において何が最も大切なことであるのか?も解りませんでした。一流大学に入ることが当面の目標でした。けれど第一志望の大学には行けず二浪して東京学芸大学に入ったのですが、教育学に興味が持てず2年間で退学してしまいました。同級生が新社会人として働き始めたのに、私は東京の千住で屋台のラーメン店をしていました。

その店の常連さんに佐藤さんという40歳のおじさんがいました。私が仕事の合間に「赤尾の豆たん」英単語を読んでいましたら名刺を差し出し、「俺の会社に来たら夜間大学に通わせてあげる」と言ったのです。一週間後に訪ねると佐藤社長と小林さん(35歳)と私だけの小さな会社でした。

その後、法政大学のⅡ部(法学部)に24歳で入学。1年目は順調に通うことができ一年分の単位も取得できました。しかし2年目頃からは大学紛争が再開して、ある日大学の構内に入ると「大学封鎖 中核派」とあり、仕方なく帰り路に向かうと、その並びに富士見町教会(私の母教会)があり「どなたでもどうぞ」という看板が私の目に入ってきました。ちょうどその日は火曜日で、志道者会(求道者の会)をしていたのです。中に入ると、島村亀鶴牧師と7~8名の人たちが年齢構成はバラバラでしたが、聖書の学びとお祈りをしていました。なかでも私が一番年下でした。初めて会う牧師先生や教会の方々が輝いて見え、また、言いようもない温かい雰囲気に包まれたのを思い出します。「私はここに居てもいいのだ」と懐かしいような安心感を覚えました。これがイエス・キリストとの最初の出会いでした。

皆様もどうぞお近くの教会を訪ねてみてはいかがでしょう。あなたに会うことをイエス・キリストが待っておられます。ぜひ教会の門をたたいてみてください。

聖書のみ言葉をお贈りします。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。

だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、

わたしは中に入ってその者と共に食事をし、

彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

(ヨハネの黙示録3章20節)

主の平安を祈ります。

ぜひ教会にきて礼拝に参加しませんか。神様が招いておられます。