🎤2020年7月5日礼拝説教『神から出たものは』(音声31分+説教要旨)
講解説教 ヨハネによる福音書7章 第2回
説教者: 白鳥 彰 牧師
聖 書: ヨハネによる福音書 7章 10~24節
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≪7月5日の説教要旨≫ 聖書ヨハネ7:10~24 「 神から出たものは 」
先週までの復習になりますが、7章までのしるしが行われました。
ガリラヤにて
①カナの婚礼(水瓶の水を良い葡萄酒に変えた)→弟子たちはイエスを信じた。
②役人の息子を癒す(「あなたの息子は生きる」と言われたと、同時刻に息子の病気が良くなった。役人・その家族もこぞって信じた。
ユダヤにて
③ベトザタの池で病人を癒す(38年間病気だった人の苦しみを、見て・知って、何がその人の苦しみであったかを聴き、癒された)。→安息日であった。癒してもらった人は、イエスのことを密告。
ガリラヤにて
④5千人に食べ物を与える(「大勢の群衆に食べさせるために、“どこで”パンを買えばよいか。」<ヨハネによる福音書は、空間的なものが重要、イエスは神のもとから来て神のもとに帰る>パンを手に取り、感謝の祈りを捧げてみんなに与えた【聖餐式のもと】)
7章からは⑤盲人を癒す、⑥ラザロの復活、そして⑦十字架の死と復活というしるしが行われます。
ヨハネによる福音書が書かれた目的は、20章30~31節の通り、
「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシア(キリスト)であると信じるためであり、また、イエスの名により命を受けるためである。」ということです。
しるしを見て信じる人もいたが、安息日論争・キリスト論争(キリストとは誰か)によって、敵対する者もいた。→1:10~言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
私たちは信じて受け入れたものです。神に愛され、守られている。そのことを信じているものです。「苦しくて どうしようもない時 いつも浮かんでくる言葉があった。神様がいるんだもの 何とかなるさ。そして いつも 何とかなった。」(星野富弘)
このような思いになったことが皆さんにもあったはずです。苦しみの中にいるときには、そう思えないこともあるかもしれませんが、「大丈夫、神様がいるんだもの」この思いこそ宗教そのものだと思うのです。
「ハイデルベルグ信仰問答」問1:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか?答え:わたしが私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。…今から後この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。
私たちは、喜んで生きるようになります。神様が慰め、支え、与えていてくださるからです。祈ります。