教会の主だった行事の紹介です。なお、実施記録はメニューを開き「説教、行事・集会の記録」に記述しています。
(共に現在工事中ですが、出来上がったところから逐次、公開していきます。)
1,クリスマス

『 クリスマスの喜びとは! 』
今から2,000年以上も前、ユダヤのベツレヘムという街の馬小屋で、その方は生まれました。それは、全世界の人々の苦しみを担うためでした。その方の名はキリスト(油注がれた者)。
“油を注がれる”とは、“王に就任する(任命される)”ことを意味します。けれども、ときの権力者であるヘロデ大王は、自らの王座をイエス・キリストに脅かされるという不安から、その地方の2歳以下の男児を全て殺すよう命じました。そして人々は皇帝アウグストゥスの命により、生まれ故郷に帰り人口登録を強いられたのでした。
イエス・キリストの母マリアも身重でしたが、夫ヨセフと共に長い長い故郷への旅に出ました。しかし故郷には、彼らの泊まる余地は何処にもなかったのです。仕方なく馬小屋に泊まり、月が満ちたマリアは男の子(イエス)を産み、飼い葉桶に寝かせました。
私たちの信じている神様は、私たちの罪の身代わりになって十字架にかけられるために、この世にお生まれになられたのです。しかも、暖かい布団やベッドではなく、貧しい馬小屋の飼い葉桶の中に寝かされたのです。
十字架とは、最も残酷で厳しい刑であり、本来なら私たちがかけられる筈だったもの。それをイエス様が担ってくださったおかげで私たちは、罪を赦され自由にされたのです。ここに神様の愛があります。
「最も気高く、賢く、真実な神様が、最も貧しい場所にまで降りてこられた。それは誰のためでもなく私たちのためであった」。これがクリスマスの喜びです。イエス・キリストは、十字架におかかりになる前に、弟子たち一人一人の足を洗いました。私たちに「互いに愛せよ」との御言を伝えるために。
私たちが、クリスマスにいただく最も素晴らしいプレゼント、それは紛れもなくイエス・キリストです。今の世界にもイエス・キリストの御言葉が行き巡り、争いがなく、愛に満ち溢れた世界になりますよう祈ります。
そして皆様の上にもクリスマスの喜びと祝福とが豊かにありますように。 主にありて。
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2,イースター(復活祭)

十字架にかけらて、亡くなったイエス・キリストが、3日目に復活したことを祝う復活祭です。
その日付は「春分の日以後の満月の後にくる最初の日曜日」とされており、2025年のイースターは4月20日の日曜日です。
その日には、●早天礼拝(6時30分~7時 辻堂海浜公園内の交通公園側県営駐車場付近にて、雨天は教会)
●教会学校礼拝と卵カード探し(9時~10時 教会にて)
●イースター礼拝(10時30分~11時40分 教会にて) を行います。
『 主イエスの復活とは 』 (白鳥牧師;2025年3月31日)
「復活」は、聖書の福音書の中にはイエス・キリストの受難予告の中で、「イエス・キリストは必ず多くの苦しみを受け、祭司長、律法学者、長老から排斥され殺され、3日後に復活する」と記されているのです。
それは、イエス・キリストの十字架上の死は、私たち人間の罪の身代わりとなり、それは神の御子によってなされたことを意味しています。
死後、私たちは、神の御子の犠牲によって罪を赦されて、神の永遠の命の中に入ることを信じています。これが、イースターをお祝いすることです。
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